あえて無理なことにチャレンジしてみる意味を考える

あえて無理なことにチャレンジしてみる意味を考える

10年くらい前、30歳ごろの当時、あることに一時期熱中していました。

 

 

それはなにかというと、エレクトーンで難しい曲の練習をしていたのです。仕事(事務職、今も同じく)や家の仕事も少なくない中で、練習時間を作るのは思った以上に大変でした。

 

 

なんでこういうことをしていたのかというと、単純に”自分への挑戦”でした。どこかで披露する予定もない、自分がどこまでできるかという限界への挑戦でした。

 

レッスンをやめてからだいぶたったころで、曲を練習するという習慣を忘れていました。そんななまった状態で、かぎられた時間で練習するのですから、マスターするまでの道がとても遠く感じられました。じっさいに全然覚えられませんでしたし・・。

 

ブランクの大きさを痛感しながら、それでも根気強く練習していたつもりです。

 

 

けれど、思わぬことが起きました。足の鍵盤を弾く練習をしているうちに、足の付け根を痛めてしまいました。歩くときにも痛いし、座るときにも痛かったです。

 

 

これでは持たないと、練習を中断しました。そしたらすぐに痛みが消えました。あの痛みは練習のために足を動かしたことと、思うように上達しないというストレスからくるものだったと思います。

 

このとき練習していたのはどういう曲だったのか、今は覚えていません。難しくてマスターできなかった、足が痛かったということしか覚えていません。

 

それでも挑戦したことはムダではありません。自分に無理なレベルの曲を練習することで、それより難易度が低い曲を弾くのが、以前よりは楽になります。そういう相乗効果があります。

 

 

これは楽器の練習以外でもいえます。あえて無理なことにチャレンジしてみることで、それが達成できなくても自分は進歩できる、そういうことは多いと思います。

 

 

不倫も浮気も無理だからこそ燃えてくるのかもしれないな。